Special

Novel

アニメ「ファンタジスタドール」脚本家の1人である、じんのひろあき氏による、
ウェブ限定のオリジナルストーリーノベル!毎週更新中!

ファンタジスタドール
お砂糖とスパイスと何か素敵なもので女の子はできている

著:じんのひろあき
イラスト:Anmi

通常の六倍の床面積を誇るユニークな形の市民体育館。
今、その中で、グオオオオオオオオオオ! という恐竜の雄叫びが響きわたった。
壁面の太陽光発電のソーラーシステム併用紫外線カットの窓ガラスがビリビリと震え、一枚がガシャン! また一枚がガシャン! と窓枠から外れて二階部分にある回廊に落ちては次々と粉々になっていく。
実物大である高さ八メートルに及ぶティラノサウロスがディスプレイされているのは会場の一番端のスペース、その脇に奥に長く控室のように仕切られているのが東京東西大学仮想現実化研究会のブースであった。
このティラノサウロスを開発した二人の女子大生と一人の男子大学生が待機していた。
轟く恐竜の咆吼に、特に動じる様子もなく、それぞれ片手で三次元マウスボールを転がし、片手の指でパッドの画面をはじき、中のウインドウを開いたり閉じたりすることを恐ろしく早く繰り返していた。
そもそも、このティラノサウロスはデモンストレーションとして十五分に一回だけ吠えるようにプログラムされていたのだ。
仮想現実化研究会、略してカソ研としては「わあ、恐竜だ、恐竜だ」とはしゃいで気軽に触ろうとして手を伸ばしてきたら、センサーで感知して吠えまくってビビらせるようセッティングしたかったのだが、それはさすがにコミフェスの事務局から「いたずらに参加者を驚かせる行為は固くお断りします」と事前説明会できつく言われてしまったのだった。
しめじが恐竜の足下に来てからティラノサウロスは二度、三度立て続けに吠えた。
カソ研の二人の女子大生のうちロングの黒髪でなくショートボブのワインレッドの髪の方、京城寺ユキが「どしたのかな、グオ、ちょっとサービスし過ぎじゃない?」と、様子を見に立ち上がった。
グオ、というのはこのティラノサウロスの愛称だ。
「グオ? グオ?」
ユキの白いTシャツには彼女のアイドルであるアインシュタインが舌を出している写真がプリントされている。下はジーンズの短パン、黒のニーソといった出で立ちで、普通に街を歩いていたら来年から院生となることが確定している工学部のロボアニマトロニクス専門のエンジニアだとは誰も思わない。
そして、彼女は見た。
その足が止まった。
固定されて突っ立っているだけのはずのティラノサウロスのグオが一歩、ゆっくりと足を踏み出したところだったからだ。
「グオ…動いてる…」
ずううん…と、体育館の床が大きな振動に震える。
ティラノサウロスの共同開発者である、もう一人の女子大生、能生ナナと男子大学生森下コンタも奥から飛び出してきた。
「な、なに?」とナナ。
「どうした?」とコンタ。
二人とも今、なにが起きているのか一目でわかり、即座にその表情は凹みきったものに変わった。
ユキは後ずさりしながら言った「この動き… AIで作動してる!」
ナナの緊張した声「なんでこんなことに?」。
そしてコンタが言った「恐竜のベーシックパーソナリティのプログラムがダウンロードされてる。まだあれは作りかけなのに!」
ナナが言い放った「車に積んであるメインコンピューターをシャットダウンしてくる!」そして、身を翻した。
ユキも続いて駆け出し「わかった、コンタはメインスイッチを切れるかどうかやってみて!」と振り返らずに指示すると猛ダッシュして走り去る。
「メインスイッチ…」
それは首の後ろにある。見上げるコンタと、見下ろすティラノサウロスと目が合う。
「それで、どうやって首の後ろに上ればいいんだ?…こんな事態は想定してなかったんだけど…」つぶやいた時、グオの首の後ろに女の子の影を見た。
しめじの姿。
「なにしてるんだ、そこで?」
誰なんだ? 
どうやってそこへ? 
コンタは聞きたい質問を後回しにして、叫んだ。
「そこにある赤いボタンを押せ! それがこいつのメインスイッチなんだ」
その声が届いたかどうか、コンタは確認することができなかった。
ブン! と振られた尻尾で激しく腹を打たれ
遙か後方へとすっ飛ばされたからだった。

グオオオオオオオオオオ!
「きゃああぁぁ!」
「うわぁぁ!」
「なんだ、あれは!」
日曜の朝の子供向け特撮番組で聞いたことがある人々の悲鳴と叫び。
「きゃあああぁぁ!」
「こっちに来るぞ!」
「逃げろ! 逃げろぉ!」
そして、これまたさんざん見たことがある人々が逃げ惑う光景。
ギャオオオオォォ!
ウギャアアァァ!
一歩進んでは恐竜は天井に向かって叫び、また一歩進んでは足下で腰を抜かしている人々に早く逃げないと踏み潰してしまうぞぉ! とばかりにティラノサウロスは吠えまくっている。
これがもし街角の雑踏であったなら逃げ遅れた子供が人々に置き去りにされ、その中で泣きじゃくり…となるのであろうが、コミフェスにおいてはせっかく並んで購入した薄い本やポスターやフィギア、タペストリーや団扇や抱き枕が破けた大きな紙袋から飛び出して床へと散らばる。
それをしゃがみ込んでかき集める人の上に人が倒れ、その人が抱えていた薄い本の束が落ち…
「俺の嫁がぁ!」
悲痛な叫び声をかき消すティラノサウロスの咆吼!
グオオオオオオオオオオ!
「逃げてください!」「早く出口へ!」「押さないで! 危険です!」コミフェスのスタッフが声を張り上げる。「ここは『いのちをたいせつに』ですからぁ!」
 
いきなりの喧噪。その中で、似顔絵を描いてもらっていた、うずめが立ち尽くしていた。傍らには大きなペンタブを抱えたヨモギちゃんが同じく呆然と寄り添って立つ。
高さ八メートル、全長十六メートルの実物大のティラノサウロスがしなやかに尻尾をくねらせながら、大きな頭を地面スレスレに近づけて、机やらパーティションやらをひっくり返し、跳ね飛ばしていく。
「なんだあれ」というのがかろうじて、うずめの口から出た言葉。
そして、ヨモギちゃんも「今日はこういうイベントがあるって、聞いてないけど…」と、事態をいまいち把握していない。
「すみやかに出口へ!」「押さないで!危険ですぅ!」「急いでください」「人を押さないでください」
コミフェスの事務局の人々の悲痛な呼びかけを聞いて、うずめはヨモギを見て言った「私達も逃げないと!」
だが、ヨモギはその場から動こうとはしない。
「ヨモギちゃん!」
そのヨモギの背後、囲んで立つ、黒、銀、ピンクの同じ髪型の三人の女の子。
黒髪のツインテが言った「マスター、戦いますか?」
ヨモギはそれに頷くとうずめ達に「うずめちゃん達は逃げて、早く!」と告げた。
今、マスターとか言わなかった?
「逃げろ!」「わあああぁぁ」という喧噪の中だから、うずめはなにか聞き間違えたかと思った。
でも、確かに今、黒髪のツインテちゃんは「マスター、戦いますか?」と言った。
仮にマスターってのが聞き間違いだとしても、その後の「戦いますか?」ってのはなんなんだ。ヨモギちゃんは漫画家でツインテ達はそのアシスタントだとさっきは聞いた。
それが戦う?
グオオオオ!
というティラノサウロスの咆哮がまた聞こえ、うずめはその声の主を見る。
まだ距離はある。
だが、恐竜は右に左にその巨体をゆらゆらと動かしながら、一歩、また一歩とこちらに向かってくる。
これと戦う?
ヨモギちゃんが?
「うずめちゃん、急いで皆と!」
「う、うん」うずめは頷き「逃げよう、みんな!」ささら達ドールに言うが、マドレーヌや小明達は「しめじがいない」と、探し始めている。
「そういえば…」さっきから、しめじの姿が見えない「どこへ?」
うずめもあたりを見回す。
逃げ惑う人々の群れの中、しめじを探す、が簡単に見つけられそうにはない。
でも、この体育館の中にいるはずだ。
ファンタジスタドールには有効範囲というものがあると、うずめは教わった。マスターである、うずめからドール達がある距離はなれてしまうと、ドール達の姿は消えマニホールド空間へと戻ってくるのだ。
うずめはデバイスを握る。
しめじが帰ってきている気配はなかった。
そして、その時、うずめは見た。
自分が手にしているデバイスとまったく同じものをヨモギちゃんが握っていたのだった…

つづく。